大坪フェローシップ10周年を記念して
医学系研究科長・医学部長 宮園 浩平
大坪フェローシップの10周年を記念し、ご寄付を頂きました大坪先生を始め、関係の皆様に心よりお礼を申し上げます。
このフェローシップがスタートした2008年の渡航者は10名でしたが、年々増加傾向にあり、2017年は19名となり、10年間で149名がこのフェローシップの支援で海外に渡航しました。渡航先は米国やヨーロッパだけでなくオセアニアやアジア諸国など様々な地域にわたっています。医学部医学科の学生諸君がこのフェローシップを存分に活用し、活発に活動したことに敬意を表したいと思います
私が医学部の学生だった約40年前と比較すると、今の学生諸君は海外で多くのことを学ぶ機会があり、うらやましい限りです。私が初めて海外に行ったのはM4の夏休みでした。生協に行って「ヨーロッパツアー2週間」というのに申し込み、医師国家試験を8ヶ月後(当時の国家試験は3月下旬でした)に控えているにもかかわらず、3週間も欧州旅行をしました。成田を出発し、アラスカのアンカレッジ空港で給油のために一時着陸、1時間後にアンカレッジを出発してロンドンに到着した時には、初めて見るヨーロッパに感動したのを覚えています。観光旅行でしたから、ロンドン→パリ→マドリッド→ハイデルベルグ→フィレンツエ→ローマ→アテネとまさに駆け足で旅行しました。帰りはアテネを出発してドバイに一時着陸、その後タイのバンコクにもう一度着陸してやっと成田に着いたと記憶しています。初めて見るロンドンやパリの街並み、ローマの遺跡などは印象的でした。数カ国を大急ぎで回りましたが、ヨーロッパの人々の個性が国によって随分と異なることも印象的でした。
帰国したら同級生から「M4の夏に勉強もせずによく海外に行ったなあ」と冷やかされたものです。この年(1980年)の夏はまれに見る冷夏でしたが、湿気だけは高かったせいか、帰国したらアパートに置いていた教科書にカビが生えていて愕然としたものです。しかし、この時に海外に行ったことは私のその後の人生の貴重な経験となりました。その後は、留学(私はスウェーデンにのべ8年滞在しました)はもちろんのこと、どこに行くのも苦にならなくなりました。研究を続けていたおかげで、若い頃から東ベルリン(1989年まではドイツは東西に分かれていました)、クロアチア、メキシコ、アルゼンチンなど、いろいろな国を訪問させてもらいました。こうした国際的な交流の広さは私の研究人生にとっても大切な財産となっています。
スウェーデン・ウプサラにあるグスタヴィアヌム美術館(左)と解剖学講堂(下) | |
東大に入学すると少し(もしかするとかなり)自分が偉くなった気になります。周囲からはちやほやされるし、期待も大きくなるし、その分、他人に教えることは多くなっても、他人に聞くのがなんとなく億劫になってきます。私が海外に留学して最初に感じたことは、これからはそうしたことが全てリセットされて、ゼロからの出直しだということでした。おかげで周りの人に初歩的な質問でもあまり気にせずにどんどんできましたし、自分よりずっと年下の人たちとも仲良く実験を楽しむことができました。
最近は海外に留学する人が減ったと言われます。確かに長期に亘って留学する人は減ったかもしれませんが、東大医学部の学生を見る限り、学生時代からどんどん海外の病院や研究室を見学するなど活発に活動しており、そうした姿をみると現在の学生が内向きになったという印象は全くありません。そして何と言っても最近の学生諸君の英語能力は私たちの時代とは比較にならないほど優れています。
大坪フェローシップのこの10年間の活動は東大医学部医学科の学生の海外での活躍の記録とも言うことができます。多くの学生諸君がこれまでの海外での経験をもとに大きく発展していくこと、またこれからも東大医学部の学生がこうした支援によりさらにいっそう海外で活躍することを期待します。